対談 ”想い”で繋げる地域の輪 第7回 前編
ボンズシップ清水社長の対談企画スタート!
この業界に携わり、ご活躍されている皆様の“想い”を
お届けすることで、関連機関との繋がりや
より安心して暮らせる地域作りに寄与できれば幸いです。
第7回目は、
居宅介護支援事業所 プリーズ江東
管理者 伊藤 涼子 様
にご協力を頂きました。
対談の様子はこちらのブログで前編/後編に分けてお届けいたします。
※以下、対談内容の黒字はボンズシップ清水社長、青字は伊藤様といたします
本日はよろしくお願いします。
まず、伊藤さんがこの道を目指されたきっかけを教えてください。
この福祉といわれる分野を目指したのは約30年前になります。
専門学校へ進学し、そこで障害児に関わりながら高齢者介護を学んでおりました。
その中で、当時、高齢者介護は今と比べればそれほど注目されていない状況でしたが、
自身の祖父母の介護の事も考えると、高齢者介護に関わっていこうかなと
思うようになりました。それが最初のきっかけです。
その後、ヘルパーの資格が出来たり、特別養護老人ホームの取り組みが
少しクローズアップされてきたりしましたので、
障害の方から高齢者の方へ入っていこうかなと改めて思いました。
専門学校卒業後は、どのような道を進まれましたか?
5年間くらいはOLを経験してみたり、海外へ行ってみたり、色々やりました。
その中で、中東諸国を旅行した際に現地の方と話す機会がありまして。
私の「平和と聞いて何を思う?」の問いに、
相手の方が「私たちに平和はない」と答えたのが衝撃的でした。
私になにかやれることはないかと自分を見つめなおすきっかけになり、
日本へ帰っていよいよ在宅介護を進めていこうと思いました。
身近な平和ってなんだろうという所の考えるきっかけが
今のお仕事に繋がっているんですね。
実際、日本に帰ってきた2000年あたりに
介護の仕事をスタートさせたのですか?
それまで施設のアルバイトは少しやっていたのですが、
在宅介護はそこが初めてのスタートでした。
まずはヘルパーをして、それから在宅の介護職の質の向上のために
サービス提供責任者、管理者をしました。
長らく介護職を支えて頂いて、エキスパートですね。
制度の移り変わりもありましたし、
社会から見た我々の姿も変化してきたと思います。
その中で、なにか大変だった事があれば教えて頂けますか。
2007年、介護業界で大きな問題が起こりましたが、
私もその真っ只中にいる一人でした。
その頃、介護職のサービス向上について仕組みを作り
研修にかかわる中でその事件が起きて、
「こんなに考えて真面目に一生懸命やっても
次の日に突然サービスが提供できなくなってしまうことがあるんだ。
守っていかないといけない利用者様の
サービスがいきなりスパッと切れて、
こんな社会じゃいけない」と思いました。
なので、切れ目のない介護や、
無理のない介護を考えていかないといけないし、
法律上のコンプライアンスも大事にしていかなきゃいけない。
あれは人生の大きな起点だったと思っています。
あの頃は本当にびっくりしましたね。コンプライアンスや制度が
追い付いていない時代ということもありましたし、
日本全体の課題が見えたような、そんな節目だったのかなと思います。
利用者さん達は何とか守って、暮らしを継続させないといけないですから、
責任感の強い伊藤さんは思うところがあったのかなと考えます。
そうですね、どんな状況に陥ってもサービスを途切れさせてはいけない
という思いを持っておりました。当時は本当に苦悩の日々が続きました。
その後、社内でコンプライアンス室が重要視され、
経緯を経て室長となり、法令順守とサービスの質の向上、
両輪で動かしていく組織作りに力を注いできました。
その後、ご自身とご主人で起業されたきっかけはなにかございますか?
私としては、現場に近いところでもっとやれることが
あるんじゃないかと考えまして、勤めていた大きな組織を退職しました。
その後、代表と一緒に想いを共有しながら、まずは在宅を始めました。
お話の途中ですが前編は以上となります。
次回、後編の掲載は3月中旬予定です。
株式会社 ボンズシップ | 2024.02.28 11:06